Jun
2022
15

久しぶり

子供が来るぞ、ということで休職したり物品用意したり人に会ったりついでにデスクトップPCも新調したり力尽きて無気力な日々をおくったり睡眠障害に悩まされたり更新したいなーとか思いつつもバッタバッタしていた。

先日、三年ぶりくらいにインスタを再開したら、ちょっとした地獄の様相を呈していて驚いている。昔は「誰かに対してささやかなマウントを取りに行く場(双方合意済)」だったように思う。今は「金儲け合戦場」という印象だ。広告、物欲、商業の臭いが凄まじい。私が引っかかってるアルゴリズムが悪いのか? 紙芝居で「これ買った」「これ良かった」「保存してね(アルゴリズム稼ぎ)」「リンク先見てね」といった具合。死に物狂いである。あと皆なんか偉そう。鬼の首を取ったよう。

口コミサイトとかのコメント見てても同じように思うけど、インターネット検索で手に入る知識が事実なら、自身の経験によって得た知恵は真実真理であって、あの「偉そう」さは彼・彼女らの「真理の伝道者」としての自負のように見える。実際、真理は尊いものだと思う。少なくとも、私の持つ真理は私にとって尊い。私の得た真理は私の人間性を表すものであって、愛すべきものだ。客観的な事の正否に人間は宿らない。…ただ、だからこそ、私にとって今のインスタの光景は金儲けの合戦場でテンプレ量産足軽が死屍累々、といった風情ですんごい気色悪く見えてしまってるんだろうな。

経験と検索による知について書いたけど、想像力による知もある。

育児ダイアリーを購入したので、ここ一か月程、妊娠初期からのエコー写真を順々に貼っていきながら、当時を思い返してのコメント書いている。私は「大人になればわかるよ」と言われるのが凄く嫌いな子供だったし、今でも自分の想像力を過信しているからその手のこと言われるの凄く嫌なんだけど、10カ月の妊婦生活を総括すると、子供だった頃の自分に、「妊娠したらわかるよ…」と言ってしまうかもしれない。想像の範囲外のことがとても多かったように思う、しかもうまく言葉にできないものがほとんど。たくさんの真理を得たけれど、これは同時に想像力の敗北で、悔しくもある。そしてまだ出産が控えている。今のところ自然分娩できそうである。鼻からスイカ、と聞きはするけれど、この言葉の時点で全然想像できない。

少し前に話題になった経口中絶薬の配偶者同意の件で、自分の中で言葉にできそうな気付きがあったのでどこかで書き残すかもしれない。人にもよるかもしれないが、私にとって生命が存在している実感は、想像よりもかなり強烈で、早くに到来した。そもそも配偶者同意なぞ不要であれと思うが、それにしたって存在の実感を抱えながら、しかしその実感を誰とも共有できないまま、自己決定を行うことの容易でなさ。

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