Jun
2022
19

経口中絶薬の配偶者同意関連のメモ/命の実感について

嬉しい楽しいといったポジティブな気持ちを、素直に受け入れることが下手だ。気恥ずかしさや臆病さや捻じれた自尊心が邪魔をして、「でも」「だけど」と言葉を繋いで粗探しをしてしまう。だから早期妊娠検査薬で陽性の表示が出た時も「なんか色薄い気がするし早期だから信頼性低いかも」「よしんば妊娠していたとしても初期流産に至る可能性は低くない」「喜びすぎてはいけない」とストッパーをかけてしまった。そのセーフティネットはその後何かあったとしてもたぶん全然機能しないし、こういうすぐメタ的立場に逃げ込もうとしてそのくせ動機が動機なものだから全然逃げられていないという自分の性質は本当にダサくて嫌なんだけど、まぁ一旦この話は脇に置いて、言いたかったのは自分の身に起こった妊娠という重大なイベントを味わい尽くしたいと思う一方、その実感にはなるべくそっぽを向いていたい自分もいたということ。

だけど一度だけ泣いてしまったことがあって、それが妊娠8週の時のエコー検査だった。検査を受けに、病院に向かう道中で、母から祖母の訃報があった。突然のことだった。母に連絡を返す前に健診だけ受けようと、分娩台にあがった。医師から「心臓動いてますね」と声をかけられた。二週間前の検査ではうっすら白い楕円が映っていただけだった場所に、何かが脈動していた、それをちゃんと自分の目で見た。人間の形は全然していなかったけど、何か命が存在していることはなんとなく自然と腑に落ちた。祖母のこと、流産を恐れながら受けた健診が最高の結果だったこと、気持ちがぐちゃぐちゃになって泣いた。

少し前、今後新たに認可される経口中絶薬について、厚労省が「配偶者同意が必要」という見解を示したことで多くの批判が集まったことが話題になった。厚労としては母体保護法に準じてそういう見解を示すしかなかったのだろうが、批判されてしかるべきだと私も思う。一方で多くの人が中絶を、母親もしくは夫婦の問題としてのみ扱いすぎてはいないか疑問に思った。そして妊娠前の私も多分そう扱っていただろうとも思った。

高校(ミッションスクールだった)の聖書の授業で、牧師が「命はどこから命か」と問いかけてきたことがあった。彼は牧師の友人の話をし始めた。ある時、その友人の妻が妊娠したが、妊娠初期に胎児が無脳症であることがわかった。無脳症の子は出産に至ることはできるものの、その後の生命維持ができず、生まれてすぐに亡くなってしまう。妊娠継続もリスクがあるので、医師は中絶を勧めた。しかし妻は夫である友人に任せるという。友人の方は「妊娠した時点で命は命であり中絶は殺人ではないか、もしそうであれば宗教的理由で中絶できない、でも妻の身体も大事」と思い悩んでいる内に、中絶できる期間を過ぎてしまった。結果的に、母体にトラブルなく出産に至ることができて、亡くなるまでの短い時間を家族で過ごすこともできたそうなのだが、その話をした牧師は「俺だったら奥さん大事だから絶対中絶させる…」と言って授業を終えた。私は友人の妻が「夫に任せる」となぜ言ったのか、わからなかった。自分の身体のことなのに。優柔不断な夫になぜ命を託せるのか。

今ならわかる気がする。つわりで思い通りに動かない体になる。エコーで心臓の動きや人間らしい姿になっていく経過を見せられる。16週~20週頃からは胎動もある、4Dエコーも見る。流産が恐ろしくて、妊娠の実感にそっぽ向いていたかった自分だって、最低限、生きようとする意志のような、何か起こっている実感は叩きつけられた。個人差はかなりあるとは思うが、中絶するまで命の実感が一切無いというケースは、どちらかといえば珍しいのではないか。そして一度命の存在を認めてしまうと、中絶がいかに合理的な選択肢であっても、その判断・決定は本当に難しい。人によってはこれを「母性本能」と呼ぶのかもしれないが、べつに母性でも本能でもないと思う。誰だって命を奪うことには抵抗がある。

ところで私の夫はいつ子供ができることを実感したのだろうと思って聞いてみたところ、「30週頃、お腹に手を当てて外部からはっきり胎動がわかったタイミング」ということだった。それまでの経過は概ね事前に想定していた通りだったとのこと。コロナ禍で妊婦健診における夫の帯同が許されないという状況があり、彼はまだ一度も病院に行っていないし、医師と会話もしていない。私の持ち帰ったエコー写真は見ているが、動画も何も見れていない。そのような状況下で私と同じように命を実感するのは実際難しいように思う。

経口中絶薬は妊娠9週までの使用許可となる見通しだそうだ。産科での3Dエコー検査に胎嚢が映って、妊娠が確定するのが、最短で妊娠6週。手術なしに中絶するには3週間以内に夫婦間で合意形成して、医師から処方を受ける必要があることになる。男女で大きく立場が違うのに、そんなに迅速に結論を出せるものだろうか。そもそも、妊婦の健康・母体の保護を考えた時、中絶するのであればできる限り早い方がいい。身体的にはもちろん、精神的にも妊娠の実感ができるだけまだ薄い内に終わらせた方がきっと傷が浅い。命はどこから命か。私は未だ何とも言えない、だけど「生きよう」という意志は、そこに言葉がなくとも、想像していたよりずっと雄弁だと思う。中絶は、まず第一に母の問題で、次に母と子の問題で、夫婦の問題となるのはその次ではなかろうか。

twitter見てたら、「「夫の同意のない中絶はできない」ではなく「妻の同意がない出産はできない」にすればいい」という意見を見かけた。その整理には子がいない。でも現実には腹に子がいる。出産は原則、自動キャンセルできない。子に生まれてくる意志があるから。配偶者同意の有無にかかわらず、出産をしない場合、少なくとも妻は明示的に中絶を選択する必要がある。「同意の意思表示をしない限り産めない」というのは優しいようでいて、結構残酷だと思う。

本当は、自信なくても迷いながらでも経済的境遇的に厳しくて産んだ後に育てられなくても、母親に少しでも産みたい気持ちがあるなら、産める社会になったらいいと思う。現実的に考えた時に難しいことも多いから、仕方ないけれど。必ずしも実母が子を育てなくてもよい社会にもっとなったらいいのに、そっちの方が中絶に至るより、多くのケースで母と子にとって、きっとマシなんじゃないか。

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