Aug
2022
18

きっと可愛い女の子だから

出産前後の日記を、以下に転記&補完して残す。自分用のメモのため、長くて読みにくいです。


7月11日(月)

予定日翌日、40週の健診。血圧に若干の不安要素があり、このまま自然分娩を待つと妊娠高血圧症になるリスクがあるとのこと、医師の勧めで12日より入院して誘発分娩することになる。子宮口1cm。

7月12日(火)

8時より入院。そのまま手術室でNSTを1時間以上。NST中は体を動かさないよう指示があり、狭い手術台の上で身動き取れず、しんどかった。その後、NSTのモニター機器をつけたまま、点滴で陣痛促進剤を入れる(NST自体は終了しているため、体を動かすのは自由になった)。昼過ぎに生理痛のような痛みがあるも、夕方には引く。17時頃、手術室に移動。17時40分頃、点滴終了して内診。子宮口、指一本分しか開かず。翌日に持ち越し。

朝一番&19時頃、経腟分娩の妊婦さんの絶叫が聞こえる。怖い。

7月13日(水)

8時からNST、内診を挟んで9時~17時で陣痛促進剤を点滴。前日よりさらに手応えが無い。点滴終了後に再度内診、医師より「心配していた血圧の上昇リスクは低そう、もう少し待てそう」「明日点滴しても陣痛こなさそう」ということで18時半に退院、自然に陣痛が来ない場合は19日に再入院する運びとなった。子宮口は全然開かなかった。子は助産師さんたちから「元気だねぇ」「自由自在だねぇ」とたくさん褒められていた(よく動くせいでモニター機器をしょっちゅうすり抜けてしまい、その都度助産師さんに機器を付け直してもらっていた)。

夜、窓辺のヘンルーダのプランターにいたナミアゲハの青虫がさなぎになるところに立ち会った。私はこの青虫のために、10日の夜に近所の植木からキンカンの枝泥棒を働いていた(プランターの葉が食べつくされてしまったので)。無事成長してホッとする。

7月14日(木)~7月18日(月)

肩透かしを喰らって、何をしていいのかさっぱりわからず。夫婦二人して気が抜けてしまった。できるだけ運動をして過ごしたが、陣痛来ず。

7月19日(火)

再入院。前回同様、NSTからの内診、陣痛促進剤の点滴。15時~16時頃まで何もなかったが、その後5分間隔で生理痛のような痛み。しかし18時の内診で子宮口2cm。医師の提案でバルーンを挿入することになる。前回入院時に簡単に予告されていたため、事前に調べてその痛みに怯えていたが、大して痛くなく、すんなり入れてもらう。「自然に抜けるまで入れっぱなしね」と言われて「マジか…」と思う。とはいえ異物感もそんなにはなかった、夜にかけて血は結構出たが。

朝と夜に分娩室でお産があった。私はすぐ隣の手術室でNST受けたり内診の待機をしていたりしていたので、ほぼ一部始終を音声で聞いていた。朝の方は感動して泣いてしまった。夜の方は悲しくて泣いてしまった。入院足掛け3日目で何人もの命の誕生の瞬間を聞いていたので、精神的に追い込まれ始めていた。(「馬鹿げた考えだなぁ」という理性も残ってはいたが)「うちの子、反出生主義なのかしら…」とか思い始めていた。

7月20日(水)

バルーンを入れながらNST、内診、陣痛促進剤の点滴。昼過ぎから少しずつお腹が痛くなるもあまり強くならず、バルーンも抜けず。表情が暗かったのか、担当してくれた助産師さんが好意で、差し入れに来た夫に一瞬会わせてくれたりお風呂や足湯入れてくれたりした。特に風呂、入院中ずっとシャワーだったし産後も一ヶ月シャワーなのが見えていたので、凄く救われた。広くて綺麗で気持ち良かった。後で話を聞いたところ、昔は水中出産なんかもやっていたが、震災の時に危ないという話になり、以後この産院ではやらなくなったとか。

点滴後、17時の内診中にようやくバルーン抜ける。子宮口4~5cm。効果があったので、この時点では帝王切開には切り替えず経腟分娩目指すことになる。何やっても効果がないままここまで来ていたので、初めて手応えあってちょっと泣いた。医師から「もう一時間だけ促進剤使ってみる?」と尋ねられてよろしく頼んだら、なぜかそこから3分間隔で30秒の激痛。痛くて泣いた。ナースコールしたが、「わー、良いことね!」って言われて切られた。促進剤の点滴を止めたら急速に引いていったが、0時頃まで低頻度で続いた(メモ曰く、21時の時点で30分間隔だったようだ)。

7月21日(木)

08:00

8時過ぎからNST。特に問題なし。

09:00

内診と陣痛促進剤の投与開始。前日バルーンで4~5cm開いてくれたはずの子宮口が3.5cmに狭まっていた。落ち込む。医師から今夜までにお産の進みが悪かったら帝王切開にしようと提案される。促進剤の方は入院してから初めて点滴打ち始めてすぐに陣痛が来た。スマホの陣痛アプリで計測したところ、最初は30秒程の痛みが3分〜5分間隔。前日終わりと同程度の痛みでかなり痛くはあったが、息を吐くことで耐えられたり、陣痛と陣痛の合間で休憩はできる感じだった。…いや言い過ぎか、既に呻いていたし助産師さんに泣き言もこぼしていた。でも前日夜にあまり眠れていなかったこともあり、途中15分くらい寝れたりはしていた。あとはまだ自力で歩行もできた。なぜかトイレに行きたくて仕方なくなって何度も行った。午前中いっぱい苦しむ。

12:00

徐々に間隔が短くなって痛みが強くなる。この頃には30秒・2分間隔になっていた。この頃には既に絶叫。痛い痛い痛い、もういやだ、etc。痛みの合間に、いつまで・どこまでを目標に痛みに耐えればいいか助産師さんに尋ねていた気がする。「まずは子宮口8cmが目標」と言われたような。17時に再び内診予定だったが、その前に一度助産師さんに見てもらって子宮口が5cmになっているのを確認。激痛なのにまだ30分おきくらいで助産師さんに付き添ってもらいながらトイレに行っていたようだ(あまり記憶がないが、そのくらいの頻度で陣痛アプリの記録が途切れている)。途中、助産師さんに昼食用のゼリー飲料を持ってきてもらったが、結局最後まで食べなかった(食べられなかった)。

15:00

「診察まだですか…?」って何度も助産師さんに聞いたからか、17時を前に医師に診察してもらった。子宮口5cm。「この3時間、なんだったんだ…」という絶望。診察中に破水、ぬるめの風呂くらいの水温の水が自分の意思と関係なくドバドバ出て怖い。「破水したら赤ちゃん降りてきやすくなるよ」と聞き、少しだけ勇気づけられるも、破水後、陣痛がさらに強くなる。スマホ触る余裕がゼロになり、陣痛アプリの記録が途絶える。とはいえたぶん30秒・2分間隔の頻度は変わらずだったと思う。「痛い痛い痛いもうやだもう無理あーあーあー」と絶叫増える。分娩台の椅子についてるレバーを軽く殴ったりもしてた気がする、腹立ってきて。

また、担当助産師さんが交代になる(多分シフトの関係)。吐き気が出てきて袋をもらうと、助産師さんの好意でミントの精油を染み込ませたティッシュか何かを顔付近に置いてくれた(凄い救われた)。助産師さんからどこか一点を見ること、息吐くこと等のアドバイスもらう。しかし楽になれず。っていうか痛すぎて息吐けない。過呼吸を起こしそうな予感もあったので、袋をずっと口に当てていた。他、助産師さんに腰を圧迫してもらう。16時半頃、夫を呼び出すよう指示を受け、陣痛の合間に電話する。分娩台から手術台に移る(分娩室と手術室、カーテン挟んで隣の部屋だった)。

17:00

医師内診&夫が手術室に来る。子宮口7cm。破水したからか少し進んだ。医師から「このままもう少し経腟分娩を目指すか帝王切開にするか」と選択肢を提示される。夫、「もう少し頑張ろう」と回答する。夫からすると私に何度も確認したうえで回答したそうだが、満身創痍だったからか私の記憶には残っておらず、その時はちょっと腹が立った。医師から「奥さんどう?」って聞かれて「頑張りたい気持ちと限界という気持ちと半々です…」と答えた結果、もう少し頑張ることになる。

以降、夫に腰をさすってもらったり助産師さんに圧迫してもらったり。コロナ禍だが、「夫に対して腰をさする場所の指示を出すのが面倒、イラつく、しんどい」というテンプレ体験をした(理不尽な怒りだがこっちも必死)。陣痛の他に、子が徐々に降りてきたのか膀胱が圧迫されているような感覚の凄い激痛が起こり始めて(しかも陣痛と違って間断が無い)、でももう一切動けないので助産師さんに尿道カテーテル入れてもらう。痛みがひどすぎて目の前に転がっていたティッシュのケースのロゴと、麦茶ペットボトルの成分表示をずっと見てた。ロゴは精神統一がやや捗った。最後の方は疲れて陣痛の合間の1分半~2分の時間で眠っていた。波が来る直前に目が覚める、何度も何度も。失神したかった。

いきみたい感覚が出てきたので助産師さんに伝える。「赤ちゃん下げるために少しいきんでもいいよ」と言われて何度かいきむ。いきむ方が、ただただ痛みに耐えるより凄く断然マシだった。いきむのうまいと褒めてもらう。体に力を入れるのは得意。抜くのは絶望的に下手だけど。

19:00

医師内診。横向きに寝ていたところから診察のために仰向けになったタイミングで吐く。胃液しか出ない。子宮口7.5~8cm。医師から、お産は進んでいるもののかなり遅いこと、出産には10cm必要なこと、ここから10cmまで目指すのはまだかなり時間がかかることから帝王切開を提案される。限界だったので承諾。合間合間、陣痛で中断したり吐いたりしながら手術の説明を受けて受けて夫婦でサインする。そのまま帝王切開準備。腰椎麻酔3本。陣痛&腹で胎児が動いている状況で背中丸めて腰を出すの、しんどかった。1本目で左鼠径部に電撃走ったみたいな痺れ。怖かった。

19:30頃、手術開始。下半身全体に麻酔が効いたのでようやく陣痛が収まる。心理的には不安だけどフィジカルは超余裕になる。長かった。

19:42、医師にお腹が圧されて赤子が腹から出てくる(麻酔が効いているが触られている感じはわかるので、パピコとかチューペットの中身を押し出す感じに似てたなぁと、後で思った)。ようやく会えて泣きそうになったが泣くまでの間に助産師さんの手によって速攻で別室に連れて行かれたため、「なんか思ってたんと違う…」ってなって涙が引っ込む。たぶん体重測定や産湯浸からせに行ったりしていたのだと思う。

その後、隣室から「ご主人抱いてみる?」とか助産師さんたちと夫の和気あいあいな会話が聞こえて寂しくなる。私は手術台から全く動けない。「最初に抱っこするの私じゃないんだ…」とも思う。楽しそうな声を聴きつつ、兼ねてよりリクエストしていた胎盤を医師から見せてもらう。でかい。グロい。縫合中に疲れて寝落ちする。20:30頃、手術終了。片付け後、分娩台の隣に赤ちゃん寝かせてもらう。添い乳で授乳。めっちゃ吸う。ようやく涙出る。

22:30

個室に移動。麻酔はだいぶ切れていた。ストレッチャーからベッド移動タイミングで腹の傷が痛すぎて悲鳴(ものの例えではなくマジで)。少し添い乳してからナースステーションに赤子を預かってもらう。夫帰宅。就寝。

7月22日(金)~

出産の翌朝は全く腹に力を入れられず、ベッドから体を起こすことができないことに「え…」ってなった。手術自体初めての経験で、これまでなんとなくそれは「キッチリ管理された医療行為」というイメージだったが、体験してみると「よく管理されたところで内臓(胎盤)を摘出するくらい腹を深く切ったことには変わりないんだな…」と感じた。それでもエコノミークラス症候群の予防のため、なる早で身体を動かせと言われ、昼に身体を起こす練習、夕方には点滴のパックを下げてるガラガラを杖代わりにして歩行練習をさせられた。

強烈な痛み止めの座薬を入れてもらっていても23日(2日目)の昼頃に「いつまで続くのこれ…」と絶望したが、午後にはだいぶ軽快して痛みをこらえながら歩いたり動いたりできるように。以降は完全に母子同室で赤子の面倒見ていてバタバタしていた(…しかしベッドから体を起こす動作は、しばらくずっと辛かったな。赤子から夜間に授乳を頻回で求められた時とか特にしんどかった)。

他、概ね病院からもらった診療計画書通りに身体の経過が推移したので載せておく。

付記すると、①私はまともに歩行ができるようになったのが他の経産婦さんと比較してだいぶ早かったらしい(痛みに慣れた?陣痛に耐えた甲斐があったのかもしれない)、②悪露の出が良かったらしい(助産師さんに「子宮口8cmまで頑張って開いたから…」と言われたが、計画帝王切開だと悪露が出にくいんだろうか?)、③母乳出る時期が早かった&量もだいぶ出た、④長い入院生活で様々な赤子の泣き声を聞いていたが、うちの子の泣き方がかなり可愛いもんだったので、色々しんどいことはあっても気持ちは楽だった。

窓辺のアゲハチョウのさなぎは、22日の深夜~23日の朝にかけて人知れず羽化したようで、気付くともぬけの空になっていたと、夫に聞いた。


以上、私の出産入院の記録。

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