押入れの安吾

安吾がありったけのはっか煙草を持って私の部屋の押入れに住み着いた
部屋がヤニ臭いのは元からだからまぁいいとして
夜中に私のビールをくすねるのはやめてほしい

安吾、安吾
なんでうちの部屋なん

酒がある
あるじに友達が少ない
人が来ないから騒がしくない

失礼なやっちゃな

安吾は極端な夜型人間だ
私が部屋の電気を消す頃のそのそと起きだして日が昇る頃眠る
だから安吾と話すのはいつも私がベッドに入ってから、日付が変わるぐらいの時刻だった
安吾はいつも酔っていた
人の話は聞いていたりいなかったりした

安吾、なんか話してくれへん? 自分のこととかさ

………

聞いてんの?

………

バカアホマヌケ

黙れ

なんもおもろい話できひんのやったら出てってよ

………

安吾のいる押入れのふすまはいつもほんの少しだけ開けられていた
ピッタリと閉められることもなければそれ以上開けられることもなかった
私たちはいつもその細いスキマを通して会話した

安吾は何も訊かんのね

女は質問してもろくな返事をしない

ほんならそんな女のいる部屋から出てけばええやん

………

質問してくれへんと会話が成り立たんやないか
じゃ、どんな女が好きなん?

安吾が語った理想の女性像は美しい不感症の娼婦や白痴の少女なんかだった
どうりで男と女が一つ屋根の下にいて何も事件が起こらないわけだ

ところで安吾、ドラえもんって知っとる?

俺は20世紀の人間だ

知っとるやん

ある日、昼時に珍しく押入れで人が動く気配がした
よく晴れた日曜日だった

安吾、起きてんの? 珍しいね
な、昼でも暗いのって怖くないん?

なぜ?

うち、小さい時、悪いことしたら母さんに押入れに閉じ込められたんよ
勝手に出たら怒られるから、少しだけスキマ開けて外の様子を窺いながら母さんの機嫌が直るの待つんやけど…
暗いし、凄く怖かった
早く出たかったなぁ

光を覚えてるか?

光?

そのスキマから差し込む光

覚えてない

俺はだからいつもふすまを少し開けてるんだ
暗闇に差し込む一筋の光
煙草吸ってるとな、半透明の青白い煙がその輪郭をもっとしっかりさせてくれる
細くてまっすぐな光
美しいよ

うちもそっち入っていい?

駄目

ケチ

…でもな、安吾
うちの話、続きがあるんやけど
母さん、押入れからうちを出して謝らせた後にいつも、自分も悪かったって、ごめんって謝るんや
でな、なんか知らんけどその時、絶対晴れてんの、空
安吾、今日、良い天気やで
空が凄く綺麗
こっちおいでよ、安吾
こっちの方が明るいよ

………

なぁ、安吾

………

私はなんとなく腹が立って、押入れのふすまを開けた
初めてのことだ
安吾は青白い顔をした月のような男だった
しかし光に照らされた彼の影はくっきりと、黒かった

次の日、安吾は消えた
なんだか悪いことをしたような気もする

見上げれば、青い空

私はふと安吾のやけにくっきりとした影を思い出し、影送りをしてみた
黒くしっかり伸びる影を目に焼き付け空に送る
白く反転した私の影はどこまでも広がる青い空にゆっくりと溶けていった
それを眺めながら私は私の愛した空を改めてもう一度愛する

この空が安吾の上にも広がっていればいいとちらりと思った

当時「傑作書けた」と思って書いた数年後に自主制作映画まで撮ったんだけど、ほんとはいつか漫画にしてみたいと思っている。好きな詩人さんに少し認めてもらえて嬉しかったな。

作成
・2007/03